ESGの推進を具体的な事業活動へと結びつけるためには、莫大な資金が必要となる場合があります。再生可能エネルギーへの転換、省エネ技術の導入、持続可能なサプライチェーンの構築といった取り組みは、長期的な企業価値を高める一方で、短期的に多額の先行投資を必要とします。この資金需要に応え、サステナビリティへの移行を金融面から支えるために生まれたのが、サステナブルファイナンスという巨大な潮流です。
その中でも、債券市場は中核的な役割を担ってきました。本章では、サステナブルファイナンスの代表的な金融商品であるグリーンボンド、そしてその進化形であるトランジションファイナンスとサステナビリティ・リンク・ボンド(SLB)について、その仕組みと法的・実務的な課題を解説します。これらの市場の健全な発展を支えてきたのが、国際資本市場協会(ICMA)が策定した各種原則です。これらの原則は、法的な強制力を持たない自主規制でありながら、事実上のグローバルスタンダードとして機能しており、アメリカの証券法制下で発行を行う企業にとっても、遵守すべき重要な行動規範となっています。
1. サステナブルファイナンスの基礎:グリーンボンド原則(GBP)
グリーンボンドは、調達した資金の使途を、再生可能エネルギーや省エネルギー、汚染防止といった、環境改善効果のある特定の「グリーンプロジェクト」に限定する債券です。2014年にICMAがグリーンボンド原則(Green Bond Principles – GBP)を策定したことで、市場の透明性と信頼性が確保され、その規模は爆発的に拡大しました。
GBPは、グリーンボンドがその「グリーン性」を名実ともに担保するための、4つの核となる要素を定めています。
① 資金使途(Use of Proceeds)
GBPの最も重要な要件は、調達資金の全額が、適格なグリーンプロジェクトの新規または既存のプロジェクトへの融資またはリファイナンスに充当されることです。発行体は、自社のグリーンボンド・フレームワークの中で、どのプロジェクトカテゴリーを対象とするのか、そして各カテゴリーの適格基準を具体的に明記する必要があります。
② プロジェクトの評価と選定のプロセス(Process for Project Evaluation and Selection)
発行体は、投資家に対して、自社の環境サステナビリティに関する目標や資金使途がその目標にどう貢献するのかを明確に伝えなければなりません。また、どのようなプロセスを経て、あるプロジェクトが適格なグリーンプロジェクトであると判断したのか、その基準と意思決定プロセスを開示する必要があります。
③ 調達資金の管理(Management of Proceeds)
調達資金は、最終的にグリーンプロジェクトに充当されるまで、他の資金とは区別して管理されなければなりません。これは、別個の銀行口座で管理するか、又は、内部の会計システム上で仮想的に追跡(earmark)する方法が一般的です。
④ レポーティング(Reporting)
発行体は、債券の償還期限まで、少なくとも年1回の頻度で、調達資金の使途に関する情報を投資家向けに報告する義務を負います。このレポーティングは、アロケーション・レポーティング(資金充当状況の報告)とインパクト・レポーティング(環境改善効果の報告)の2つの要素を含む必要があります。
これら4つの要素に加え、GBPは発行体に対し、そのフレームワークについて外部レビューを受けることを強く推奨しています。特に、発行前のセカンド・パーティー・オピニオン(SPO)は、専門的な第三者機関が、発行体のフレームワークがGBPの諸原則に適合しているかを評価するもので、投資家の信頼を得る上で事実上の必須要件となっています。
2. 困難な移行を支える:気候トランジションファイナンス・ハンドブック
グリーンボンドは、そのプロジェクト自体が明確に「グリーン」である場合には非常に有効なツールです。しかし、鉄鋼・セメント・化学といった、GHG排出量が多く、脱炭素化が技術的に困難な「移行困難セクター(Hard-to-abate Sectors)」にとっては、単純なグリーンプロジェクトの定義に当てはまらないことが多いです。
これらのセクターがパリ協定の目標に沿った脱炭素化を進めるための投資を金融面から支援するのが、トランジションファイナンス(Transition Finance)の考え方です。この信頼性を担保するために、ICMAは「気候トランジションファイナンス・ハンドブック」を公表しました 。このハンドブックは、トランジションファイナンスをうたう発行体が、グリーンウォッシングとの批判を避けるために開示すべき4つの重要な要素を定めています。
- 発行体の気候移行戦略とガバナンス: 発行体は、パリ協定の目標と整合的な、科学的根拠に基づく長期的な気候移行戦略を策定し、公表していなければなりません
- 事業モデルの環境面での重要性: 移行戦略は、発行体の事業活動の中で、環境への影響が最も重要(material)な部分に焦点を当てたものでなければなりません
- 科学的根拠に基づく気候移行戦略: 移行戦略に含まれるGHG削減目標は、国際的に認知された科学的な軌道に沿って設定されなければなりません
- 実施の透明性: 移行戦略を実行するための具体的な投資計画(設備投資や研究開発費など)を開示し、その進捗状況を定期的に報告することが求められます
3. 新たなパラダイム:サステナビリティ・リンク・ボンド原則(SLBP)
グリーンボンドが「資金の使途」を問うのに対し、発行体全体のサステナビリティ・パフォーマンスそのものに焦点を当てる、全く新しいタイプの債券がサステナビリティ・リンク・ボンド(Sustainability-Linked Bond – SLB)です。
SLBは、資金使途が特定されない一般事業目的の債券です。その代わり、発行体は、将来の特定の期日までに、あらかじめ定められたサステナビリティ目標を達成することを約束します。もし目標を達成できなかった場合、投資家に対してペナルティ(通常は金利の上乗せ)を支払うという仕組みになっています。ICMAは2020年にサステナビリティ・リンク・ボンド原則(SLBP)を策定し、その信頼性を確保するための5つの核となる要素を定めました。
- KPIの選定: 目標の基礎となる主要業績評価指標(Key Performance Indicator – KPI)は、発行体の事業の中核をなし、そのサステナビリティ戦略にとって重要でなければなりません 。
- SPTの測定: KPIに基づいて設定されるサステナビリティ・パフォーマンス・ターゲット(Sustainability Performance Target – SPT)は、野心的であり、単なる現状維持を大きく超えるものでなければなりません。
- 債券の特性: SPTを達成できなかった場合のペナルティの内容は、起債時に明確に定められていなければなりません。
- レポーティング: 発行体は、少なくとも年1回、各SPTに対するKPIの進捗状況を報告する必要があります。
- 検証: 各SPTの達成状況は、独立した外部の検証機関によって検証されなければなりません。
SLB市場は急速に拡大しましたが、初期段階では、一部のSPTの野心度の欠如が批判の対象となり、グリーンウォッシングのリスクが指摘されました 。これに対し、ICMAは原則の改訂や、参考となるKPIを集めた「KPIレジストリ」の公表などを通じて、市場の規律向上に努めています。
4. 米国市場における法的・実務的留意点
グリーンボンドやSLBをアメリカの資本市場で発行する企業は、ICMAの国際的なベストプラクティスを遵守するだけでなく、米国の厳格な証券法制にも対応しなければなりません。
開示責任と虚偽記載リスク
企業が発行に際して作成するグリーンボンド・フレームワークやSPO、そして発行後に公表するレポーティングは、すべて投資家の投資判断に影響を与える重要な情報であり、証券取引法10条(b)項および規則10b-5に代表される、証券法の詐欺防止規定(anti-fraud provisions)の適用対象となります。
したがって、これらの文書に含まれる情報が、投資家を誤解させるような重要な虚偽記載または不記載を含んでいた場合、SECによる執行措置や、投資家による損害賠償請求訴訟の対象となる可能性があります。例えば、グリーンボンドで調達した資金を適格プロジェクト以外に流用した場合や、インパクト・レポートで環境改善効果を意図的に過大に報告した場合などがこれにあたります。これらの行為は、悪質なグリーンウォッシングとして、深刻な法的責任を問われる可能性があります。
ガバナンスと内部統制の重要性
サステナブルボンドの発行は、単発の財務活動ではありません。それは、企業のESG戦略、ガバナンス、そしてリスク管理体制の全体が問われる、全社的な取り組みです。法務・コンプライアンス部門は、サステナブルボンドの発行が、企業の年次報告書(Form 10-K)で開示されているESG戦略やリスク要因と完全に整合していることを確認しなければなりません。債券発行のために作成された文書と、SECへの提出書類との間に矛盾があれば、それは虚偽記載のリスクを著しく高めます。