国際仲裁は、その最終判断である仲裁判断が下されるまでに、1年から2年、あるいはそれ以上の期間を要することも珍しくありません。しかし、紛争の性質によっては、このような長期間にわたって何らの措置も講じなければ、一方の当事者が回復不能な損害を被ってしまう事態が起こりえます。例えば、相手方が係争物の破壊や処分を試みたり、将来の賠償金の支払いを免れるために資産を国外に隠匿したり、あるいは営業秘密の不正な開示を続けたりするようなケースです。
このような事態を防ぎ、仲裁判断の実効性を最終的に確保するために、仲裁手続の進行中に暫定的に当事者の権利を保全し、現状を維持するための措置が必要となります。これが「暫定保全措置(Provisional Measures / Interim Measures)」です。
暫定措置は、国際仲裁の有効性を支える上で極めて重要な機能を持ちます。しかし、仲裁廷は国家の強制力(imperium)を持たない私的な裁判体であるため、その権限には自ずと限界があります。この限界を補い、仲裁手続の完全性を担保するために不可欠な役割を果たすのが、国家の司法権力、すなわち「裁判所(National Courts)」です。
国際仲裁は、仲裁廷の自律性を尊重しつつ、必要な場面で的確な支援を提供するという、裁判所との洗練されたパートナーシップの上に成り立っています。本章では、この暫定措置を軸として、国際仲裁における仲裁廷と裁判所の権限と役割分担、そしてその相互関係について解説します。
1. 暫定保全措置の必要性
仲裁手続中に暫定措置が必要となる典型的な状況は、以下のようなものです。
- 現状維持:契約関係が終了するまで、あるいは紛争が解決するまで、当事者の一方が契約の履行を継続するよう命じること。
- 財産保全:将来の仲裁判断の執行を確保するため、相手方の資産の処分を禁止すること(資産凍結)。
- 証拠保全:証拠が破棄されたり、改ざんされたりするのを防ぐため、文書や物品の現状を保全するよう命じること。
- 損害拡大の防止:一方の当事者の行為(例:知的財産権の侵害行為)を差し止め、損害がさらに拡大することを防ぐこと。
これらの措置は、仲裁判断が下されたときに、それが単なる「絵に描いた餅」に終わらないようにするために不可欠です。この緊急のニーズに応えるため、暫定措置を命じる権限は、仲裁廷と裁判所の双方に与えられています。
2. 仲裁廷による暫定措置
現代の国際仲裁では、仲裁廷自身が暫定措置を命じる広範な権限を持つことが標準となっています。
(1) 権限の根拠
仲裁廷が暫定措置を命じる権限の根拠は、主に以下の二つです。
- 仲裁地法(Lex Arbitri):UNCITRALモデル法第17条をはじめ、多くの近代的な仲裁法は、仲裁廷に対して、当事者の一方の申立てにより必要と認める暫定措置を命じる権限を明示的に与えています。
- 仲裁機関の規則:ICC、LCIA、SIACなど主要な仲裁機関の規則も、ほぼ例外なく、仲裁廷に暫定措置を命じる権限を付与する条項を含んでいます。当事者がこれらの規則を適用することに合意した場合、その合意が権限の直接の根拠となります。
(2) 暫定措置の要件
仲裁廷が暫定措置を命じるためには、申立人は通常、以下の要件を立証する必要があります。これらの要件は、UNCITRALモデル法第17条Aにまとめられており、国際的なスタンダードとなっています。
- 回復不能な損害(Irreparable Harm):暫定措置が命じられなければ、金銭賠償では十分に償うことのできない損害が発生する高度の蓋然性があること。
- 本案勝訴の可能性(Likelihood of Success on the Merits):申立人が、紛争の本案(最終的な請求)について勝訴する合理的な可能性があること(一応の立証、prima facie case)。
- 利益衡量(Balance of Hardships):暫定措置を認めることによって申立人が受ける利益が、それを認めないことによって相手方が被る不利益を上回ること。
- 緊急性(Urgency):仲裁判断を待っていては手遅れになるという、措置の緊急の必要性があること。
(3) 仲裁廷による暫定措置の限界
仲裁廷は、当事者の合意と法律によって広範な権限を与えられていますが、その権限には本質的な限界があります。
- 第三者への効力: 仲裁廷の権限は、仲裁合意の当事者から付託されたものであるため、原則として当事者間でのみ効力を有します。したがって、銀行や倉庫業者といった契約外の第三者に対して、資産の凍結や物品の引き渡しを直接命じることはできません。
- 執行力の欠如: 最大の限界は、仲裁廷が国家のような物理的な強制力(imperium)を持たないことです。仲裁廷が暫定措置を命じても、相手方が任意に従わない場合、仲裁廷自身がそれを強制的に実現させる手段(例えば、資産を差し押さえるなど)を持ちません。
この執行力の欠如という問題を補うために、裁判所の役割が重要となります。
3. 緊急仲裁人(Emergency Arbitrator)制度
伝統的な仲裁手続では、仲裁廷が設立されるまでに数ヶ月を要することがあり、その間に緊急の暫定措置が必要となった場合、当事者は裁判所に頼らざるを得ませんでした。この「手続の空白期間」を埋めるため、21世紀に入ってから主要な仲裁機関が導入したのが「緊急仲裁人制度」です。
これは、正規の仲裁廷が設立される前に、一方の当事者からの緊急の申立てに基づき、仲裁機関が極めて迅速に(通常は24時間から数日以内に)1名の「緊急仲裁人」を選任する制度です。緊急仲裁人は、短期間(通常は2週間程度)で当事者双方から主張を聞き、暫定措置に関する決定を下します。
緊急仲裁人の決定は、その後の正規の仲裁廷を拘束するものではありませんが、当事者を法的に拘束する命令として出されます。しかし、これも仲裁廷による暫定措置と同様に、それ自体に国家の強制力はないため、相手方が従わない場合には、執行のために裁判所の支援を求める必要があります。この制度は、裁判所への申立てに代わる、仲裁の枠内での迅速な解決策として、近年利用が拡大しています。
4. 裁判所による暫定措置
仲裁合意の当事者は、仲裁手続の開始前、進行中、または終了後を問わず、仲裁を支援するために裁判所に暫定措置を申し立てる権利を依然として有しています。
(1) 裁判所の権限の根拠
裁判所が仲裁を支援する権限は、各国の国内法に由来します。UNCITRALモデル法9条は、「仲裁手続の開始前又は進行中に、当事者が裁判所に対して暫定保全措置を申し立てること、及び裁判所がこれを認めることは、仲裁合意と矛盾するものではない」と明確に規定しており、裁判所の支援的な役割を肯定しています。
かつては、ニューヨーク条約2条3項が裁判所に当事者を「仲裁に付託」することを義務付けていることから、裁判所が暫定措置のような本案に関わる判断をすることは条約違反ではないか、という議論がありました。しかし、今日では、裁判所による暫定措置は、仲裁合意を侵害するものではなく、むしろ仲裁手続の実効性を確保するために不可欠な支援行為である、というのが国際的に確立した考え方です。
(2) 裁判所による暫定措置の利点
裁判所への申立ては、仲裁廷や緊急仲裁人による措置に比べて、以下のような独自の利点を持ちます。
- 第三者への効力: 裁判所は、銀行や税関といった仲裁の当事者ではない第三者に対しても、資産の凍結や物品の差押えといった命令を下すことができます。
- 強力な執行力: 裁判所の命令には、国家の強制力が背景にあるため、相手方が従わない場合には、直ちに強制執行手続に移行できます。
- 密行性(Ex Parte): 相手方に知られることなく手続を進める必要がある場合(例えば、資産隠匿を防ぐための資産凍結命令)、裁判所は、相手方に通知することなく一方当事者の申立てのみに基づいて暫定措置(Ex Parte Order)を発令することができます。これは、双方の当事者に審理の機会を与えることを原則とする仲裁廷には、通常認められない権限です。
(3) どの裁判所に申し立てるか
暫定措置をどの国の裁判所に申し立てるべきかは、事案によって異なります。
- 仲裁地の裁判所: 仲裁手続全体を監督する権限を持つため、最も自然な申立先です。
- 資産所在地の裁判所: 資産の凍結や保全を求める場合、その資産が存在する国の裁判所に申し立てるのが最も実効的です。
- 相手方の所在地の裁判所: 相手方に対して特定の行為(または不作為)を命じる場合、その相手方の本店所在地などの裁判所に申し立てることが考えられます。
近代的な仲裁法を持つ国の多くは、たとえ仲裁地が自国になくとも、自国の領域内に保全対象の資産や証拠が存在する場合などには、外国の仲裁手続を支援するための暫定措置を命じる権限を認めています。
5. 仲裁廷が命じた暫定措置の執行
仲裁廷が暫定措置を命じても相手方が従わない場合、申立人はその命令を持って裁判所に行き、その執行を求めることになります。しかし、これは法的に単純な問題ではありません。なぜなら、暫定措置命令は、ニューヨーク条約の対象となる「最終的(final)」な仲裁判断ではないからです。
この問題に対処するため、2006年に改正されたUNCITRALモデル法は、仲裁廷が命じた暫定措置を裁判所が執行するための詳細な規定(第17条HおよびI)を導入しました。この規定によれば、仲裁廷による暫定措置は、一定の限定的な拒絶事由がない限り、裁判所によって執行されるべき「拘束力」を持つものとされます。
このモデル法の規定は、多くの国で国内法として採用されつつあり、仲裁廷による暫定措置の実効性を高める上で重要な役割を果たしています。これにより、当事者は、まず仲裁の枠内で仲裁廷に暫定措置を求め、執行が必要な場合にのみ裁判所の支援を仰ぐ、という効率的な二段階のアプローチをとることが可能になっています。
6. 結論:仲裁廷と裁判所のパートナーシップ
国際仲裁における暫定措置の実現は、仲裁廷と裁判所との間の機能的な協力関係によって成り立っています。両者の関係は、対立するものではなく、補完し合うものです。
- 仲裁廷は、紛争の全体像を最もよく理解する立場にあり、当事者の合意に基づく権限として、事案に即した暫定措置を命じる第一義的な役割を担います。
- 裁判所は、仲裁廷にはない国家の強制力を背景として、仲裁手続が妨害されることなく円滑に進行するように支援し、仲裁判断の実効性を確保するための不可欠な支援的役割を担います。
この絶妙なバランスの上に成り立つパートナーシップこそが、国際仲裁を、単なる私的な話し合いではなく、実効性と強制力を備えた信頼に足る紛争解決制度たらしめているのです。当事者とその代理人は、紛争の具体的な状況に応じて、仲裁廷、緊急仲裁人、そして裁判所という、それぞれ異なる特徴を持つツールを、いかに戦略的に使い分けるかが問われることになります。