第3章:市場支配力と市場画定

反トラスト法の分析は、多くの場合、「市場支配力(マーケット・パワー)」という概念を中心に展開されます。企業の行為が競争を阻害しうるかどうかは、その企業が市場においてどの程度の力を持っているかに大きく依存するからです。

§3.1 市場支配力(マーケット・パワー)とは

3.1a 市場支配力の定義(経済学的観点)

市場支配力とは、「価格を費用以上に引き上げても利益を上げられる能力」と定義されます。完全競争市場では、企業は価格を少しでも引き上げれば全ての顧客を失ってしまうため、市場支配力はゼロです。しかし、独占企業や、製品の差別化に成功している企業は、価格を引き上げても全ての顧客が離れるわけではないため、ある程度の市場支配力を持ちます。

経済学的には、市場支配力はラーナー指数によって測定されます。

ラーナー指数 = (価格 – 限界費用) / 価格

この値がゼロであれば完全競争、1に近づくほど独占の度合いが高いことを示します。

3.1b 市場シェアの役割(反トラスト法の観点)

企業の正確な限界費用を外部から知ることは極めて困難であるため、反トラスト法の適用に関しては、より扱いやすい代替的な指標が用いられます。

市場支配力を測定するための最も一般的な代理指標が「市場シェア」です。

ある企業が市場全体の売上や生産量の高い割合を占めている場合、その企業は価格引き上げによって顧客の一部を失ったとしても、残りの多くの顧客から高い利益を得られる可能性が高まります。つまり、高い市場シェアは、高い市場支配力の存在を強く示唆するのです。

しかし、市場シェアから市場支配力を推し量るためには、その前提として、競争が繰り広げられている範囲、すなわち「関連市場(Relevant Market)」を特定する必要があります。100%の市場シェアを持っていても、それが「東京都江東区のレモン味のガム市場」のように極端に狭く定義された市場であれば、意味のある市場支配力があるとは言えません。したがって、市場支配力の分析は、関連市場の画定という作業から始まります。

§3.2 関連市場の画定

関連市場とは、問題となっている企業の行為が競争に与える影響を評価するための、経済的な境界線のことです。市場は、「製品市場」「地理的市場」という2つの側面から画定されます。

3.2a 仮想独占企業テスト(SSNIPテスト)

現代の反トラスト分析において、市場画定のための標準的な手法とされているのが「仮想的独占者テスト(Hypothetical Monopolist Test)」です。これは、ある製品群と地理的範囲を仮の市場として設定し、もしその市場にたった1社の供給者(仮想的独占者)しかいなかったと仮定した場合、その企業が「小幅かつ実質的で一時的でない価格引上げ(Small but Significant and Non-transitory Increase in Price: SSNIP)」(通常は5〜10%)を利益を出しながら実行できるかどうかを検証する思考実験です。

もし価格引き上げが利益をもたらすのであれば、それは消費者が他の代替品に十分に乗り換えることができないことを意味し、その仮設定された範囲が「関連市場」として成立します。もし価格引上げによって多くの顧客が代替品に流出し、結果的に利益が減少してしまうのであれば、その代替品も市場に含めて範囲を広げ、再度テストを行います。このプロセスを、SSNIPが利益をもたらす最小の製品群・地理的範囲が見つかるまで繰り返します。

3.2b ブラウン・シュー社の判断要素

SSNIPテストが主流となる以前、裁判所は1962年のブラウン・シュー社事件判決で示された、より定性的な要素を考慮して市場を画定していました。これには以下のものが含まれます。

  • 製品の物理的特性と用途の類似性
  • 価格の類似性と価格変動の連動性
  • 業界や消費者による認識
  • 独自の生産設備
  • 特定の顧客層

これらの要素は直感的で分かりやすいのですが、経済学的な厳密さに欠け、特に価格引き上げに対する需要の反応という核心的な問いに直接答えるものではないため、今日ではSSNIPテストを補完する位置づけとされています。

§3.3 製品市場の画定

製品市場の画定では、消費者が価格上昇に直面した際に、どの製品を代替品とみなすかという需要の代替性が中心的な分析対象となります。

3.3a セロファン・ファラシー

市場画定における古典的な誤りが「セロファン・ファラシー」です。これは、1956年のデュポン社事件判決に由来します。デュポン社はセロファンのほぼ100%を生産していましたが、同社は「柔軟な包装材」というより広い市場を主張し、裁判所もこれを認めました。その根拠は、セロファンの価格が上昇すると、多くの消費者がワックスペーパーなどの他の包装材に乗り換えるという高い交差価格弾力性(ある製品の価格変化が、別の製品の需要に与える影響の度合い)が観察されたためです。

しかし、この推論には罠があります。デュポン社が既にセロファンに対して独占価格を設定していたとすれば、消費者が他の包装材に乗り換えやすいのは当然です。もしセロファンが競争的な価格で販売されていたならば、他の包装材との代替性は低かったかもしれません。このように、独占状態にある現在の価格を基準に代替性を判断すると、市場を過度に広く画定してしまう危険性があります。これがセロファン・ファラシーであり、SSNIPテストでは、あくまで競争的な価格水準からの価格引き上げを想定することでこの誤りを回避します。

3.3b 供給の代替性

需要の代替性に加え、供給の代替性も考慮されます。これは、ある製品の価格が上昇した際に、他の企業が既存の設備を転用するなどして、迅速かつ低コストでその製品の生産に参入できるかどうかという視点です。例えば、レシピ本を印刷している業者が、ほとんど追加投資なしにミステリー小説を印刷できるのであれば、両者は供給サイドから見て同じ市場に属すると考えられます。

§3.4 地理的市場の画定

地理的市場は、消費者が価格上昇に際して代替的な供給者を求めて移動する範囲、又は、供給者が製品を輸送して競争する範囲を画定します。

  • 輸送コスト: 製品の価値に対して輸送コストが高い製品(例:セメント、生コンクリート)は地理的市場が狭くなる傾向があり、逆に輸送コストが低い製品(例:ダイヤモンド、ソフトウェア)は市場が広くなります。
  • 消費者の移動パターン: 小売業やサービス業の場合、消費者が日常的に買い物やサービスのために移動する範囲が重要な判断材料となります。病院のM&A事件などでは、患者の居住地データが詳細に分析されます。
  • 価格の連動性: 異なる地域間で価格が連動して動く場合、それらの地域は1つの地理的市場に属している可能性が高まります。

§3.5 市場シェアの計算と解釈

関連市場が画定されると、次はその市場における各企業の市場シェアを計算します。

  • 計算基準: 売上高・販売数量・生産能力等が基準として用いられます。製品が同質であればどの基準でも結果は大きく変わりませんが、品質や価格に差がある製品が混在する市場では、どの基準を用いるかによってシェアが変動し、解釈には注意が必要となります。
  • シェアの評価: 独占化事件(シャーマン法2条)では、一般的に市場シェアが70〜80%以上であれば独占力が強く推認され、50%未満では独占力の認定が困難とされます。企業結合規制(クレイトン法7条)では、より低いシェアでも市場集中度に応じて問題とされることがあります。

市場シェアは強力な指標ですが、それだけで市場支配力の有無が決まるわけではありません。参入障壁の高さも極めて重要です。たとえ市場シェアが100%であっても、新規参入が容易であれば、既存企業は価格を引き上げることができません。逆に、シェアがそれほど高くなくても、強力な特許や政府の規制によって参入が困難であれば、既存企業は相当程度の市場支配力を行使できる可能性があります。

§3.6 市場支配力の直接的証明

市場画定とシェア計算は、あくまで市場支配力を間接的に推測するための手法です。場合によっては、市場を画定することなく、企業の行動から市場支配力を直接的に証明することも試みられます。例えば、以下のような証拠が用いられます。

  • 持続的な超過利潤: 企業が長期間にわたって競争的水準を大幅に上回る利益を上げ続けている場合。ただし、会計上の利益と経済学的な利益の違いや、一時的な成功との区別など、解釈には慎重を要します。
  • 持続的な価格差別: コスト差では説明できない価格差を、異なる顧客グループに対して継続的に設定できている場合。
  • 競争を排除する能力を示す直接的な証拠: 競合他社の参入を実際に阻止した事例や、価格引上げに競合他社が追随せざるを得なかった場合等。

これらの直接的な証拠は、市場画定の困難なケースや、市場シェアだけでは実態を捉えきれないケースにおいて、市場支配力の分析を補完する重要な役割を果たします。