第8章:義務

「義務」は、陪審ではなく、裁判所が判断する法律問題(Question of Law)です。裁判所は、この義務という法的概念を用いて、過失責任が及ぶ範囲をコントロールします。

  1. Affirmative Duties: 通常、個人は他人のために積極的に行動する義務を負いません。しかし、特定の状況下では、法は例外的に、他者を危険から保護するための積極的な作為義務を課すことがあります。これは、何もしなかったこと(不作為(Nonfeasance))によって責任が問われるケースです。
  2. Limited Duties: 被告が危険な状況を作り出したにもかかわらず、特定の種類の損害(精神的損害や純粋経済損失など)や特定の関係性(土地所有者と不法侵入者など)においては、様々な政策的理由から、一般的な注意義務が否定されたり、限定されたりすることがあります。

第1節 Affirmative Duties

コモンローの基本原則は、個人主義と自由を尊重する立場から、他人が危険な状態にあっても、その危険を自らが作り出したのでない限り、その他人を救助したり保護したりする一般的な法的義務はないというものです。目の前で人が溺れていても、近くにある浮き輪を投げる法的な義務はありません。この原則は、道徳的には非難されるべき状況であっても、法的な義務と道徳的な義務とを区別するコモンローの姿勢を象徴しています。

しかし、この大原則には、社会的な関係性の重要性や公平性の観点から、いくつかの重要な例外が認められています。

1. 危険の創出 (Creating the Risk)

たとえ過失がなかったとしても、自らの行為が結果的に他人を危険に晒す状況を生み出してしまった場合、その危険を除去したり、危険について警告したりする義務が生じることがあります。

例えば、Montgomery v. National Convoy & Trucking Company 事件では、被告のトラックが凍結した高速道路で(過失なく)立ち往生してしまいました。そのトラックは丘の頂上のすぐ先に停止していたため、後続車からは見えませんでした。原告の車は、丘を越えた直後にトラックに気づき、避けきれずに衝突しました。裁判所は、被告には後続車に対して警告を発する義務があったと判断し、その不作為を過失と認定しました。被告は危険な状況を「創出」した当事者として、その危険を緩和するための合理的な措置を講じる義務を負ったのです。

2. 自発的引受 (Voluntary Undertaking)

救助義務がないにもかかわらず、一度自発的に救助を開始した場合、その救助を合理的な注意を払って遂行する義務が生じます。特に、その救助行為によって、他の潜在的な救助者が介入するのを妨げたような場合には、途中で不合理に救助を中止したり、かえって状況を悪化させたりすれば、責任を問われる可能性があります。善意から始まった行為であっても、一度関与した以上は、無責任な行動は許されません。

3. 特別な関係 (Special Relationships)

当事者間に「特別な関係」が存在する場合、一方の当事者は他方の当事者を保護する積極的な義務を負うことがあります。これは、一方の当事者が他方の保護と安全を委ねられている、という信頼関係や依存関係を基礎とします。伝統的に認められてきた特別な関係には、以下のようなものがあります。

  • 運送業者と乗客
  • ホテルと宿泊客
  • 親と子
  • 学校と生徒、ベビーシッターと子供などの監護関係

これらの関係においては、単に自らが危険を創出しないという消極的な義務だけでなく、第三者による加害行為など、外部の危険から相手方を合理的に保護すべき積極的な義務が生じることがあります。

この「特別な関係」をめぐる最も有名な例が、Tarasoff v. Regents of University of California 事件で確立された、精神科医が患者から特定の第三者に対する加害の意図を告げられた場合に、その第三者に警告する義務です。この判例は、医師の患者に対する守秘義務と、社会の安全を守るべき義務との間に深刻な緊張関係を生じさせました。裁判所は、特定の個人に対する具体的かつ深刻な脅威が存在する例外的な状況においては、公共の安全が守秘義務に優先すると判断したのです。ただし、この Tarasoff 義務の適用範囲は、あくまで「特定可能な被害者」に対する「具体的な脅威」が存在する場合に厳格に限定されています。

第2節 土地所有者・占有者の責任 (Premises Liability)

土地の所有者または占有者(以下、「土地所有者」)が、その土地の状況によって他人に損害を与えた場合の責任は、不法行為法の中でも特に複雑なルールが形成されてきた分野です。これは、土地所有権という強力な権利と、人の安全を保護するという要請との間のバランスを取る試みの歴史でした。

伝統的なコモンローは、土地への侵入者の法的地位によって、土地所有者が負うべき注意義務のレベルを厳格に区別してきました。

1. 伝統的な三分類

  • 業務上の招待客 (Invitee)
    • 定義: 土地所有者の事業目的のために、明示的または黙示的に土地に入ることを許された者です。デパートの買い物客、ホテルの宿泊客、修理業者などが典型例です。
    • 義務のレベル: 最も高度な注意義務を負います。土地所有者は、土地の状態を合理的に検査し、危険な状態を発見した場合には、それを修復するか、又は、招待客に十分な警告を与える義務があります。これは、土地所有者が知らない危険であっても、合理的な検査によって発見できたはずの危険まで対象となります。
  • 許可を得た侵入者 (Licensee)
    • 定義: 土地所有者の事業とは無関係に、所有者の許しを得て自己の目的のために土地に入る者です。
    • 義務のレベル: Inviteeより低いレベルの義務を負います。土地所有者は、自らが知っている(Known)隠れた危険について警告する義務はありますが、未知の危険を発見するために土地を積極的に検査する義務までは負いません。
  • 不法侵入者 (Trespasser)
    • 定義: 土地所有者の許可なく土地に侵入した者です。
    • 義務のレベル: 最も低いレベルの義務を負います。原則として、土地所有者は、不法侵入者に対して意図的に、または「悪意をもって(Wanton and Willful)」損害を与えることを禁じられるにすぎません。罠を仕掛けるなどの行為は許されませんが、単なる過失によって生じた危険な状態については、原則として責任を負いません。

この伝統的な三分類には、「発見された不法侵入者(Discovered Trespasser)」に対する義務の加重(知っている危険を警告する義務など) や、子供を誘引する危険な人工物に関する「魅力的な危険物(Attractive Nuisance)」の法理 といった、いくつかの例外や修正が加えられてきました。

2. 伝統的分類の崩壊と現代的アプローチ

以上の三類型は、侵入者の法的地位という形式的な違いだけで義務のレベルを決定するため、しばしば不合理で不公平な結論を導くことがありました。

このような不合理を解消するため、1968年のカリフォルニア州最高裁判決 Rowland v. Christian を皮切りに、多くの州でこの伝統的分類を修正または撤廃する動きが広がりました。

現在、アメリカ各州のアプローチは大きく3つに分かれています。

  1. 伝統的分類を維持する州: 約半数の州は、今なお伝統的な三分類を維持しています。
  2. 二分類を採用する州: 多くの州は、不法侵入者に対するルールは維持しつつ、招待客と許可客の区別を撤廃し、両者を「合法的な侵入者」として扱い、いずれに対しても一般的な合理的な注意義務(Reasonable Care under the Circumstances)を課します。
  3. 完全撤廃した州: カリフォルニア州など一部の州は、不法侵入者を含む全ての侵入者に対して、その法的地位を考慮要素の一つとしつつも、基本的には一般的な合理的な注意義務を課します。

第3節 Limited Duties

被告の作為(Misfeasance)が予見可能な損害を引き起こした場合であっても、その損害が物理的なものではなく、精神的な苦痛や経済的な損失にとどまる場合、不法行為法は責任の範囲を厳しく限定する傾向があります。これは、無闇に責任が拡大することや詐害的な訴訟の濫発を防ぐための政策的な判断に基づきます。

1. 過失による精神的損害 (Negligently Inflicted Emotional Distress – NIED)

これは、被告の過失行為が、原告に直接的な身体的傷害を与えることなく、精神的な苦痛のみを引き起こした場合の問題です。(身体的傷害に伴って生じる精神的苦痛は「痛みと苦しみ」として賠償の対象となります。)

NIEDの請求権は、歴史的に厳しく制限されてきました。その理由は、精神的損害の客観的な証明の困難さ、詐病の危険性、そして一度認めれば訴訟が殺到する(Floodgates of Litigation)ことへの懸念です。裁判所は、請求が本物であることを担保するため、いくつかの「客観的な指標」を要求するルールを段階的に発展させてきました。

  • インパクト・ルール (Impact Rule): 最も古い厳格なルールです。原告の身体に、たとえわずかでも物理的な衝撃(Impact)がなければ、精神的損害の回復は認められません。
  • 危険地帯ルール (Zone of Danger Rule): 多くの州で採用されているルールです。物理的な衝撃はなくても、原告が被告の過失行為によって身体的な危険に直接晒され(危険地帯にいた)、その結果として精神的苦痛を被った場合に、回復を認めます。この場合、原告は自らの安全に対する恐怖を感じたことが必要です。
  • ディロン・ルール(Dillon Rule / Bystander Recovery): Dillon v. Legg 事件で示された、より進歩的なルールです。危険地帯にいなかった目撃者(Bystander)であっても、一定の要件を満たす場合には、近親者が傷害を負うのを目撃したことによる精神的損害の回復を認めます。その要件として、裁判所は以下の3要素を考慮します。
    1. 場所的近接性: 原告が事故現場の近くにいたか。
    2. 時間的・感覚的近接性: 原告が事故の発生を直接、自らの感覚で見聞きしたか。
    3. 関係的近接性: 原告と被害者が近親関係にあるか。

近年では、誤った医療情報の伝達や死体の不適切な取り扱いなど、特定の状況下でのNIED請求を認める動きもありますが、一般的に義務が否定される傾向は続いています。

2. 純粋経済損失 (Pure Economic Loss)

これは、被告の過失行為が、原告の身体や財産に物理的な損害を与えることなく、経済的な損失のみを引き起こした場合の問題です。

これに対するコモンローの伝統的かつ支配的なルールが「経済損失ルール(Economic Loss Rule)」です。これは、原則として、純粋経済損失については過失に基づく回復は認められないというものです。

例えば、被告の不注意で橋が損壊し通行止めになった結果、迂回を余儀なくされたトラック運転手が余分な燃料費や時間を費やしたとしても、その経済的損失について橋を損壊させた被告に賠償を請求することはできません。

このルールを支える最大の理由は、際限のない責任の波及効果を防ぐことにあります。もしこのような回復を認めれば、ひとつの過失行為から生じる経済的損失の連鎖は無限に広がり、被告に予測不能かつ過大な責任(Crushing Liability)を負わせることになりかねません。このような広範なリスクは保険による手当ても困難であり、社会経済活動全体を萎縮させる恐れがあります。

この厳格なルールにも、いくつかの例外があります。最も代表的なのが、会計士や弁護士といった専門家が、その専門的サービスを提供する過程で過失による不実表示(Negligent Misrepresentation)を行い、それを信頼した特定の依頼者や、その情報が渡ることを予見していた限定的な第三者が経済的損失を被った場合です。この場合、責任は、専門家と情報を信頼する者との間の「特別な関係」に基づいて認められます。また、公害事件のように、被告の行為が広範な経済的損害(漁業被害など)を引き起こした場合に、限定的な回復を認めたケースもあります。