アメリカの民法(不法行為法)

1. 不法行為(Tort)とは何か

Tort という言葉は、ラテン語で「ねじれた」を意味する tortus に由来し、フランス語では「危害」や「間違い」を意味します。その語源が示すように、不法行為法とは、ある人の行為が他者に危害や損害を与えた場合に、どのような法的救済が与えられるべきかを規律する広範な法分野です。

最も基本的な定義として、不法行為は「契約関係から生じない市民間の違法行為(a civil wrong not arising out of contract)」と説明されます。これは、当事者間の合意(契約)違反から生じる責任を扱う契約法とは区別されるものです。不法行為法が扱うのは、社会で共に生活する人々が互いに負っている、他者を不当に害さないように行動すべきという、より根源的な義務の違反です。

アメリカの不法行為責任は、加害者の行為態様に応じて、大きく3つの類型に分類されます。

  1. 故意による不法行為(Intentional Torts)
    加害者が他者の法的に保護された利益を侵害する意図をもって行動した場合に成立します。殴る意図をもって相手を殴打する「Battery」や、相手を脅かす意図で差し迫った危害の恐怖を与える「Assault」が典型例です。ただし、必ずしも「危害を加える意図」まで要求されるわけではなく、特定の行為をする意図があれば足りる場合もあります。
  2. 過失による不法行為(Negligence)
    不法行為訴訟の大半を占めるのが、この過失責任の分野です。これは、社会の成員として通常期待される「合理的な注意(reasonable care)」を怠った結果、他者に損害を与えた場合に成立します。意図的に危害を加えようとしたわけではないものの、不注意によって事故を引き起こした場合などがこれにあたります。例えば、前方不注意で自動車事故を起こした場合の責任は、過失の問題として扱われます。
  3. 無過失責任(Strict Liability)
    「厳格責任」とも訳されるこの責任類型は、加害者に故意も過失もなかったとしても、特定の危険な活動から損害が生じた場合に責任を負わせるものです。例えば、爆薬の使用や猛獣の飼育といった「異常に危険な活動(abnormally dangerous activities)」によって損害が発生した場合、活動主体は細心の注意を払っていたとしても責任を免れません。これは、他社に危害を与えうる活動から利益を得る者が、それに伴う不可避的なリスクのコストも負担すべきであるという考えに基づいています。

これらのいずれの責任類型を問う場合であっても、原告(被害者)が訴訟で救済を得るためには、原則として以下の4つの要素を立証しなければなりません。

  1. 義務(Duty):被告(加害者)が原告に対し、特定の注意基準に従う法的な義務を負っていたこと
  2. 義務違反(Breach of Duty):被告がその義務に違反したこと
  3. 因果関係(Causation):被告の義務違反と原告の損害との間に、事実上及び法律上の因果関係があること
  4. 損害(Damages):原告が法的に救済可能な損害を被ったこと

アメリカの不法行為法には、次のような特徴があります。

  • 陪審員裁判(Jury Trial):多くの不法行為訴訟において、当事者は陪審員による裁判を受ける憲法上の権利を有します。事実認定は一般市民から選ばれた陪審員が行い、裁判官は法解釈と手続の管理に専念します。この役割分担が、法ルールの形成に大きな影響を与えています。
  • 弁護士費用に関する「アメリカン・ルール」:訴訟費用(特に弁護士費用)は、勝訴・敗訴にかかわらず各当事者が自己負担するのが原則です。敗訴者が勝訴者の弁護士費用まで負担する「敗訴者負担主義」とは異なります。

2. 不法行為法の機能と目的

A. Corrective Justice

最も古典的かつ根源的な機能は、正義の実現です。これは、ある者の違法な行為によって他者の権利が侵害されたとき、その「間違い」を正し、両者間の道徳的な均衡を回復するという考え方です。加害者は、被害者が被った損失を填補することによって、自らの行為の責任を取ります。この観点から見れば、不法行為法は、加害者と被害者という二者間の関係に焦点を当て、損害を不当に生じさせた者から、不当に損害を被った者へと損失を移転させることを目的とします。賠償責任保険や企業の存在によって、加害者個人が直接的に賠償の負担を負わない現代の状況では、この理念は希薄化しているとの指摘もありますが、依然として不法行為法の根底にある重要な思想です。

B. 民事的救済(Civil Recourse)

是正的正義と密接に関連しつつも、近年注目されているのが、民事的救済という機能です。これは、法が被害者に対し、自らを害した者に対して redress(救済・是正)を求める公式な手段(recourse)を提供することに主眼を置く考え方です。被害者は、訴訟を通じて、自らが受けた不正義を公の場で訴え、加害者に応答を求めることができます。損害賠償という結果だけでなく、このプロセス自体が、被害者の尊厳を回復し、社会がその不正義を看過しないというメッセージを発する上で重要な意味を持ちます。

C. 抑止(Deterrence)

是正的正義が過去の不正を正すことに焦点を当てるのに対し、抑止は未来志向の機能です。不法行為法は、潜在的な加害者に対し、危険な行為を行えば損害賠償責任を負う可能性があると警告することで、将来の同様の事故や危害の発生を未然に防ぐことを目指します。

特に、経済学的な視点を取り入れた法分析では、「最適抑止(optimal deterrence)」という概念が重視されます。これは、すべての事故をゼロにすることを目指すのではなく、事故を防止するためのコスト(予防コスト)が、その事故によって生じる損害の期待値を下回る場合にのみ、予防を促すという考え方です。不法行為責任を課すことは、企業や個人が活動を行う際に、他者に与える危害のリスクを自らのコストとして計算に入れることを促し、社会全体として過度な危険を抑制するインセンティブを与えます。

D. 損失の分配(Loss Distribution)

事故による損失は、しばしば一人の被害者にとって壊滅的なものとなりえます。不法行為法のもうひとつの機能は、こうした集中した損失を、より広い範囲に分配することです。例えば、製品の欠陥によって事故が起きた場合、製造業者に責任を負わせることで、その賠償コストは製品価格に転嫁され、最終的にはその製品を購入するすべての消費者が少しずつ負担することになります。また、自動車事故の賠償は、加害者が加入する賠償責任保険によって支払われますが、その原資はすべての保険加入者が支払う保険料です。このように、不法行為責任は、保険や価格メカニズムを通じて、大きな損失を社会の多くの構成員で分かち合うための触媒として機能します。

E. 補償(Compensation)

被害者に生じた損害を補償することも、不法行為法の重要な機能であることは間違いありません。医療費、失われた収入、そして身体的・精神的な苦痛に対して金銭的な対価を与えることで、被害者の経済的な負担を軽減し、可能な限り事故前の状態に近づけることを目指します。

しかし、「補償」が不法行為法の唯一の目的ではないことには注意が必要です。もし補償が至上の目的ならば、加害者の行為態様(故意、過失など)にかかわらず、すべての被害者が救済されるべきだということになるでしょう。しかし、現実の不法行為法は、加害者に何らかの帰責事由がある場合にのみ責任を認めるのが原則です。つまり、不法行為法による補償は、あくまで是正的正義や抑止といった他の目的が達成されるプロセスの中で、結果として実現される機能となっています。

F. 社会的不満の表明と是正(Expression and Redress of Social Grievances)

最後に、不法行為訴訟は、特に大企業や政府機関といった巨大な組織を相手取った場合、個人の権利侵害を超えて、より広範な社会的不満を表明し、その是正を求めるための重要な手段となりえます。欠陥製品、環境汚染、医薬品の副作用などに関する大規模な訴訟は、個々の被害者の救済にとどまらず、企業の安全対策や政府の規制のあり方に対して問題を提起し、社会的な変革を促す力を持っています。

第1部:不法行為の3類型

第1章:故意による不法行為

第2章:過失による不法行為

第3章:無過失責任(厳格責任)

第2部:因果関係

第4章:事実的因果関係

第5章:法的因果関係

第3部:損害

第6章:抗弁

第7章:損害賠償

第8章:特別な義務と責任の限定

第4部:特別な類型

第9章:製造物責任

第10章:経済的・人格的不法行為