9.1 上訴のタイミング:終局判決主義(Final-Judgment Rule)
第一審裁判所(トライアル・コート)の判断に誤りがあると考える当事者は、上級の裁判所(上訴裁判所)にその是正を求めることができます。この手続が「上訴(Appeal)」です。しかし、当事者は、トライアルの過程で下されるあらゆる判断に対して、その都度上訴を申し立てることができるわけではありません。もしそのようなことが許されれば、訴訟は絶え間ない中断に見舞われ、1つの事件が終結するまでに途方もない時間がかかってしまうでしょう。
このような「訴訟の断片化(piecemeal litigation)」を避け、司法の効率性を確保するために、アメリカの連邦裁判所およびほとんどの州の裁判所が採用している大原則が「終局判決主義(Final-Judgment Rule)」です。これは、原則として、訴訟におけるすべての請求について最終的な判断が下され、もはや第一審裁判所には判決を実行する以外に何もすることが残されていない状態になって初めて、上訴が許されるというルールです(連邦では合衆国法典28編1291条)。
このルールによれば、トライアルの途中で下される個々の命令や決定——例えば、特定の証拠を採用しないという決定、訴答の修正を認めない命令、ディスカバリーを強制する命令など——は、「中間命令(interlocutory order)」と呼ばれ、それ自体を直ちに上訴の対象とすることはできません。これらの判断に対する不服は、ひとまず記録に留めておき、事件全体についての終局判決が下された後で、その判決に対する上訴の一部として主張することになります。
終局判決主義の理論的根拠は、訴訟経済にあります。第一に、1つの訴訟から生じる可能性のある複数の不服申立てを、一度の上訴手続にまとめることで、上訴裁判所の負担を軽減します。第二に、トライアルの途中で不利な判断を受けた当事者も、最終的には訴訟に勝訴する可能性があります。その場合、中間命令に対する上訴はそもそも不要となり、結果として無駄な上訴を減らすことができます。第三に、トライアルを中断させないことで、第一審における迅速な事件解決を促進します。
しかし、この厳格なルールは、時に当事者に対して過酷な結果をもたらすことがあります。例えば、裁判所が重要な証拠を不当に排除する決定を下した場合、当事者は、その誤りが最終的な敗訴に繋がることを予期しつつも、多大な費用と時間をかけてトライアルを最後まで戦い抜かなければ、その決定の是非を上訴審で問うことさえできません。もし上訴審が第一審の判断を誤りであると認めれば、すでに行われたトライアルはすべて無駄になり、事件は差し戻されて、再びトライアルをやり直さなければならなくなります。
このような非効率性や当事者の不利益を避けるため、終局判決主義には、法律や判例によって、いくつかの重要な例外が設けられています。
9.2 終局判決主義の例外
終局判決主義の厳格さを緩和するための例外規定は、大きく分けて「判例上の例外」と「法律・規則上の例外」の二つに分類されます。
(1)判例上の例外:付随的命令抗告の法理(Collateral Order Doctrine)
最も重要な判例上の例外が、Cohen v. Beneficial Industrial Loan Corp.(1949年) で最高裁判所が確立した「付随的命令抗告の法理(Collateral Order Doctrine)」 です。これは、ある命令が、以下の3つの要件をすべて満たす場合に限り、終局判決を待たずに直ちに上訴することを認めるものです。
- その命令が、訴訟の本案(merits)とは分離された、付随的な(collateral)争点を、最終的に(conclusively)決定するものであること。
- その命令が、当事者の重要な権利に関わるものであること。
- その命令が、終局判決後の上訴では事実上レビューすることができない(effectively unreviewable)ものであること。
Cohen事件で問題となったは、株主代表訴訟において、原告に訴訟費用の担保として保証金の提供を命じる州法を適用するか否かという争点に関する命令でした。最高裁は、この命令が訴訟の本案である会社役員の責任問題とは無関係であり(要件1)、保証金を提供できなければ訴訟を断念せざるを得ないという原告の重要な権利に関わり(要件2)、もしトライアルで原告が敗訴すれば、保証金を提供すべきであったか否かという問題はもはや意味をなさなくなるため、判決後では有効なレビューができない(要件3)と判断し、直ちに上訴することを認めました。
この法理は、極めて限定的に適用されるべき「狭い例外」であると理解されています。特に、ディスカバリーに関する命令のほとんどは、この法理の対象とはなりません。なぜなら、たとえ不当な開示命令であったとしても、当事者はその命令に従うことを拒否し、裁判所から「法廷侮辱罪(contempt of court)」の制裁を科された上で、その制裁決定に対して直ちに上訴するという代替的な救済手段が残されているからです。
(2)法律・規則上の例外
議会や裁判所の規則制定機関も、特定の類型の中間命令については、直ちに上訴する必要性が高いことを認め、法律や規則で例外を設けています。
- 差止命令(Injunctions): 連邦法(合衆国法典28編1292条(a)(1)項)は、仮の差止命令(preliminary injunction)の付与、継続、修正、拒否、又は解消に関する命令について、直ちに上訴することを明確に認めています。これは、差止命令が当事者の行動を直接的に拘束し、その権利に即時かつ回復不可能な影響を与える可能性があるためです。ただし、より緊急性の高い仮処分命令(Temporary Restraining Order, TRO) は、通常、期間が極めて短く、相手方に聴聞の機会が与えられた後すぐに仮の差止命令の審理に移行するため、原則として即時の上訴の対象とはなりません。
- 裁量的上訴(Discretionary Appeals): 連邦法(合衆国法典28編1292条(b)項)には、極めて例外的なケースに対応するための、柔軟な中間上訴の制度があります。これによると、第一審裁判官が、自らの命令が (1) 決定的な影響力を持つ法律問題(a controlling question of law) を含み、(2) その法律問題について意見が分かれる実質的な根拠があり、かつ (3) 即時上訴が訴訟の最終的な終結を実質的に早める旨を書面で疎明した場合に限り、上訴裁判所は、その裁量で上訴を受理することができます。この手続は、第一審裁判官と上訴裁判所の双方の同意が必要なため、「二重の裁量」が課せられており、実際に認められることは稀です。
- クラスアクションの認定: 連邦民事訴訟規則23条(f)項は、クラスアクション(集団訴訟)の認定(certification)または不認定に関する命令について、上訴裁判所の裁量による即時上訴を認めています。クラスアクションの認定の可否は、訴訟の規模や性質を根本的に変え、当事者に莫大な費用負担や和解への強い圧力を生じさせるため、早期に上級審の判断を仰ぐ必要性が高いと認識されているためです。
- 職務執行令状(Writ of Mandamus): これは厳密には上訴ではありませんが、上訴裁判所が、第一審裁判官の行為を監督するために発する、特別な救済命令です。上訴裁判所は、第一審裁判官が、その権限を明らかに逸脱した「明白な濫用(clear abuse of discretion)」を行った場合や、法的に義務付けられた行為を怠った場合に、その是正を命じる職務執行令状を発することができます。これは、他のいかなる手段によっても救済が得られない、極めて例外的な状況でのみ用いられます。
9.3 上訴における審査の範囲と基準(Scope and Standard of Review)
上訴裁判所は、第一審で起こったことの全てを、ゼロから審理し直すわけではありません。上訴審の役割は、あくまで第一審の記録(record)を精査し、そこに法的な誤り(legal error) がなかったかを審査することにあります。この審査の範囲と深さは、上訴の対象となっている問題の性質によって、明確に区別されています。
(1)審査の範囲(Scope of Review)
上訴審が審査するのは、原則として、第一審の記録に含まれ、かつ、当事者が第一審で適切に提起し、保存した(preserved)争点に限られます。
- 記録の原則(The Record Rule): 上訴裁判所は、新たな証拠を取り調べることはしません。第一審の法廷で提出された証拠、証言の記録、申立書、裁判所の命令といった、公式の記録のみが審査の対象となります。
- 権利放棄の原則(The Waiver Doctrine): 当事者は、第一審で特定の主張をしなかったり、裁判官の判断に対してその場で異議(objection)を述べなかったりした場合、原則として、その争点を上訴で新たに主張することはできません。これは、第一審裁判官に誤りを自ら是正する機会を与えるとともに、当事者が不利な判断を「保険」として温存し敗訴した後に初めてそれを持ち出すという行動を防ぐためです。ただし、第一審の事物管轄権の欠如や、個人の基本的な権利を侵害するような「明白な誤り(plain error)」については、例外的に上訴審が職権で取り上げることがあります。
(2)審査の基準(Standard of Review)
上訴裁判所が、第一審の判断を審査する際の「ものさし」は、問題の性質に応じて三段階に分かれています。
- 法律問題:De Novo(デ・ノヴォ)審査: 第一審裁判官による法律の解釈・適用に関する判断(例えば、陪審への説示の内容が法的に正しかったか、特定の法律をどのように解釈すべきか、など)については、上訴裁判所は、第一審の判断に一切敬意を払うことなく、全く新しいものとして(de novo)、自ら改めて判断を下します。これは、法の統一的な解釈を確保するという、上訴裁判所の最も重要な責務を反映したものです。
- 裁判官による事実認定:明白な誤り(Clearly Erroneous)基準: 裁判官審理において、第一審裁判官が行った事実認定については、上訴裁判所は、それが「明白に誤っている(clearly erroneous)」と確信しない限り、これを覆してはなりません(連邦民事訴訟規則52条(a)項)。これは、証人の表情や態度といった「生きた証拠」に直接触れた第一審裁判官の判断を尊重すべきであるという考え方に基づきます。上訴裁判所は、たとえ自分が同じ証拠を見れば違う結論に至ったかもしれないと感じたとしても、第一審の事実認定に合理的な根拠がある限り、それに介入することはできません。
- 陪審員による事実認定:合理的陪審(Reasonable Jury)基準: 陪審員が行った事実認定は、憲法修正第7条によって最大限に尊重されます。上訴裁判所が陪審評決を覆すことができるのは、前章で述べたJNOVの基準と同様、「合理的な陪審であれば、そのような評決を下すことを可能にする、法的に十分な証拠が全く存在しなかった」と判断できる、極めて例外的な場合に限られます。
- 裁量事項:裁量権の濫用(Abuse of Discretion)基準: 訴訟の進行管理、ディスカバリーの範囲、証拠の採否、新規審理の申立ての許可など、第一審裁判官に広い裁量が与えられている事項に関する判断については、上訴裁判所は、その判断が「裁量権の濫用(abuse of discretion)」にあたる場合にのみ、これを覆すことができます。これは、第一審の現場の状況を最もよく知る裁判官の判断を尊重するものであり、上訴で覆されることは比較的少ないです。
最後に、たとえ第一審に法的な誤りがあったとしても、それが判決の結果に影響を与えない些細なものであった場合、上訴裁判所はその誤りを「無害な誤り(harmless error)」として、判決を覆すことはしません。上訴は、完璧なトライアルを保障するためのものではなく、実質的に公正な結果を保障するための制度なのです。