第8章 弁護人の援助を受ける権利

アメリカの刑事司法制度は、検察官と被告人が対等な当事者として主張・立証を尽くす対審制度(Adversary System)をその根幹に据えています。この制度が実質的に機能するための最も重要な前提条件が、修正6条が保障する「弁護人の援助を受ける権利(Right to the Assistance of Counsel)」です。法律の専門家である検察官と国家権力を背景に持つ捜査機関に、素人である被告人が1人で立ち向かうことは、事実上不可能に近いと言えます。弁護人は、被告人の側に立って法の盾となり、国家の権力行使をチェックし、公正な裁判を実現するための不可欠な存在です。

1. 修正6条と弁護権の保障

修正6条は、「すべての刑事訴追において、被告人は、……自己の防御のために弁護人の援助を受ける権利を有する」と規定しています。しかし、この権利が、経済的な理由で弁護士を雇えない貧困被告人(indigent defendant)に対して、国が費用を負担して弁護人を選任することまでを義務付けるものか否かは、長らく明確ではありませんでした。

この問題に関する最高裁判所の最初の重要な判断は、Powell v. Alabama(1932年)判決で示されました。この裁判では、無知で貧しい黒人の若者たちが、死刑が科されうる強姦罪で起訴されましたが、事実上、弁護人の援助なしに裁判にかけられました。最高裁判所は、この特殊な状況下(死刑事件、被告人たちの無知と無力、敵対的な社会雰囲気)では、弁護人を選任する機会を与えなかったことは修正14条のデュー・プロセスに違反すると判示しました。しかし、この判断はあくまで個別具体的な事情に基づくものであり、全ての重罪事件に一般化されるものではありませんでした。

この状況を根底から変えたのが、歴史的なGideon v. Wainwright(1963年)判決です。フロリダ州で起訴されたクラレンス・ギデオンは、貧困を理由に弁護人の選任を求めましたが、州法が死刑事件以外では公選弁護人を認めていなかったため、拒否されました。彼は独力で裁判に臨み、有罪判決を受けました。その後、ギデオンが獄中から最高裁判所に送った手書きの上告趣意書が認められ、審理が行われました。最高裁判所は、全会一致で「弁護人の援助は、公正な裁判を実現するために根本的かつ不可欠な権利である」と宣言しました。さらに、修正6条の弁護権を、修正14条を通じて各州にも完全に適用(編入)し、重犯罪(felony)で訴追された貧困被告人には、国選弁護人が選任される憲法上の権利があることを確立したのです。

その後、この権利は重犯罪以外の罪(misdemeanor)にも拡張されました。Argersinger v. Hamlin(1972年)判決は、たとえ重犯罪でなくても、実際に禁固刑(actual imprisonment)が科される可能性のあるいかなる事件においても、貧困被告人には弁護人を選任してもらう権利があると判示しました。さらに、Scott v. Illinois(1979年)は、この「実際に禁固刑が科される」という基準を明確化し、法律上は禁固刑が定められていても、裁判官が実際に禁固刑を科さないのであれば、公選弁護人を選任する憲法上の義務はない、と結論づけました。

2. 権利が保障される「決定的段階(Critical Stage)」

修正6条の弁護権は、捜査の初期段階から常に保障されるわけではありません。この権利は、「正式な司法的敵対関係(formal adversarial judicial proceedings)」が開始された時点で初めて「付着(attaches)」します。これは、具体的には、正式な訴追(formal charge)・予備審問・起訴・罪状認否といった、国家が被告人に対して訴追の意思を固め、司法手続の歯車が回り始めた段階を指します。

ひとたび権利が付着すると、その後の手続のうち、被告人の権利に実質的な影響を及ぼしうる「決定的段階(critical stage)」において、弁護人の援助を受ける権利が保障されます。「決定的段階」とは、弁護人の不在が、被告人の公正な裁判を受ける権利を害する可能性のある手続のことです。最高裁判所が「決定的段階」と認定した手続には、以下のようなものがあります。

  • 起訴後の人物特定のためのlineup
  • 予備審問
  • 罪状認否
  • Plea Bargaining
  • 公判
  • 量刑手続
  • 最初の通常上訴

一方で、起訴前の身元確認ラインナップや、科学的分析のための血液・筆跡サンプルの採取、フォトアレイによる身元確認などは、「決定的段階」にはあたらないとされています。

3. 実効的な弁護(Effective Assistance of Counsel)

弁護権とは、単に法廷に弁護士が物理的に存在すれば満たされる形式的な権利ではありません。それは、被告人のために「実効的な(effective)」援助を行う弁護人を持つ権利です。しかし、弁護活動の質を事後的に審査することは、弁護戦略の多様性を尊重する観点から非常に難しい問題です。

この困難な課題に対し、最高裁判所はStrickland v. Washington(1984年)判決において、弁護人の非実効性を主張するための厳格な二段階テストを確立しました。

  1. 欠陥のある弁護活動(Deficient Performance): 被告人は、まず、弁護人の活動が「客観的に見て合理的な基準(an objective standard of reasonableness)」を下回っていたことを証明しなければなりません。裁判所は、弁護人の戦術的判断に対して「高度な敬譲(highly deferential)」の念をもって審査し、「当時の状況から見て、弁護人の行為が、広範な専門的能力の範囲外にあった」と評価できる場合にのみ、この要件は満たされます。単なる戦術上の誤りや、結果的に失敗に終わった戦略は、欠陥とは見なされません。
  2. 偏見(Prejudice): 次に、被告人は、その欠陥のある弁護活動によって、裁判の結果に偏見が生じたことを証明しなければなりません。具体的には、「弁護人の専門家らしからぬ過誤がなければ、裁判の結果が異なっていたであろうという合理的な確率(a reasonable probability that, but for counsel’s unprofessional errors, the result of the proceeding would have been different)」が存在することを示す必要があります。「合理的な確率」とは、「可能性の優越」を意味するものではなく、「信頼を揺るがすに足る確率」と定義されています。

このStrickland基準は、両方の要件を満たすことが極めて困難であるため、弁護人の非実効性を理由に有罪判決を覆すことは容易ではありません。しかし、この基準は、弁護権が単なる名目上のものではなく、被告人の防御のために意味のある活動を行うことを要求する、実質的な権利であることを明確にした点で重要です。

4. 自己弁護権(Right to Self-Representation)

被告人は弁護人の援助を受ける権利を有する一方で、その権利を放棄し、自分自身で弁護を行う(pro se)権利も憲法上保障されています。Faretta v. California(1975年)判決で、最高裁判所は、修正6条の構造と歴史から、国家は被告人の意に反して弁護人を押し付けることはできないと結論づけました。この自己代表権は、個人の自律性(autonomy)を尊重する理念に基づくものです。

ただし、この権利の行使には厳格な要件があります。被告人が弁護権を放棄し、自己弁護を選択するためには、その放棄が「認識し、理解した上で、任意に(knowingly, intelligently, and voluntarily)」なされたものでなければなりません。裁判官は、被告人に対し、自己弁護に伴う危険性や不利益(証拠法則の知識の欠如、法的手続の複雑さなど)について十分に説明し、被告人がそれを理解した上でなお自己代表を望んでいることを確認する義務があります。

また、被告人が自己弁護を行う能力(competency)も問題となります。Indiana v. Edwards(2008年)判決は、公判に耐えうる能力(competent to stand trial)がある被告人であっても、自己弁護を行うために必要な精神的能力を欠いている場合には、裁判所は自己弁護を拒否できると判示しました。

裁判所は、自己弁護を選択した被告人を援助するために、「待機弁護人(standby counsel)」を選任することができます。待機弁護人は、被告人の求めに応じて手続上の助言を与えたり、被告人が法廷秩序を乱すなどして自己弁護権を失った場合に、弁護を引き継いだりする役割を担います。

弁護人の援助を受ける権利は、アメリカ刑事司法の公正さを担保する最後の砦です。それは、貧しい者にも法の下の平等を保障し、国家権力との対峙において個人が孤立無援となることを防ぎ、最終的には被告人自身の選択を尊重するという、多層的で深遠な憲法上の権利なのです。