現代において、アメリカ企業との取引は多くの日本企業にとって日常的なものとなっています。しかし、その一方で、取引先が突如として経営破綻に陥るリスクも常に存在します。そのとき、アメリカの連邦倒産法(Bankruptcy Code)に基づいて進められる手続に、日本企業は債権者として、あるいは利害関係者として否応なく巻き込まれることになります。この複雑で強力な法律を前にして、その場しのぎの対応に終始すれば、本来保護されるべき権利を失い、予期せぬ損失を被りかねません。
このような事態を避けるためには、アメリカ倒産法の個別の条文知識だけでなく、その根底に流れる法思想、すなわち「なぜこのような制度が設計されているのか」という基本理念を理解することが不可欠です。アメリカの倒産法制は、単なる債務整理の技術的なルール群ではありません。それは、失敗を許容し再挑戦を促すアメリカ社会の価値観、債権者間の公平性、経済全体の合理性が複雑に絡み合って形成されています。
「フレッシュスタート(再出発)」
アメリカ倒産法の最も根幹をなし、他国の法制度と比較して際立った特徴となっているのが、「フレッシュスタート(Fresh Start)」という理念です。これは、不運にも経済的に破綻した個人債務者に対して、過去の負債の大部分を免除(Discharge)し、人生を再建し、経済活動の生産的な一員として社会に復帰する機会を与えるべきだという考え方です。
この思想は、1934年の連邦最高裁判決(Local Loan Co. v. Hunt)における一節に象徴的に示されています。「(倒産法は)誠実な債務者に対して、人生における新たな機会(a new opportunity in life)と、将来の努力のための障害なき地平(a clear field for future effort)を与えるものである」。この判決が示すように、倒産制度は、債務者を過去の負債の鎖で永続的に縛り付けるのではなく、その鎖を断ち切り未来に向かって歩き出すための「経済的な解放」を目的としています。
フレッシュスタートの理念は、単なる債務者への温情や慈悲に基づくものではありません。そこには、アメリカ社会の根底にある、失敗は成功の元であるという価値観と経済的合理性が存在します。一度の失敗によって個人が経済活動から永久に排除されてしまえば、その個人が将来生み出すはずだった価値(労働、消費、納税など)は社会から失われてしまいます。むしろ、過去の負債を清算させ、再び生産的な活動に従事させた方が、社会全体にとっても利益になるという発想が根底にあるのです。
この理念が最も明確に具現化されているのが、個人の清算手続であるChapter 7における免責制度です。債務者は、破産申立て時点までに築いた資産(一部の免除財産を除く)を破産財団に提供する代わりに、申立て前の債務のほとんどについて法的な支払義務を免れます。これにより、債務者は申立て後の将来の収入を、過去の債権者ではなく、自身の生活再建と将来のために用いることができるようになります。
もちろん、このフレッシュスタートは無制限に与えられるものではありません。債務者に不正な行為があった場合には免責が許可されず(免責不許可事由)、また、税金や学生ローン、悪意の不法行為に基づく損害賠償など、政策的な理由から一部の債権は免責の対象外(非免責債権)とされます。しかし、このような制約はありつつも、誠実な債務者に再起の道を開くというフレッシュスタートの思想は、アメリカ倒産法を理解する上で最も重要な出発点であることに変わりはありません。
債権者の公平な保護と資産価値の最大化
フレッシュスタートが主に債務者側の視点に立った理念であるとすれば、それと対をなすのが、債権者側の利益を考慮した「債権者の公平な保護(Equitable Protection for Creditors)」と「資産価値の最大化(Maximization of Asset Value)」という理念です。倒産法は、債務者を救済するだけの制度ではなく、限られた資産の中から、全ての債権者に対して可能な限り公平かつ多くの分配を行うことを目指す、集団的な債務整理手続(Collective Proceeding)なのです。
もし倒産法が存在しなければ、支払不能に陥った債務者の資産を巡って、債権者たちによる無秩序な争奪戦が始まるでしょう。各々の債権者が、我先にと個別の訴訟や強制執行によって債権を回収しようとする「早い者勝ち(race to the courthouse)」の状態に陥ります。このような状況は、情報力や交渉力に勝る一部の債権者だけが抜け駆け的に満足を得る一方で、多くの債権者は何も回収できずに終わるという、極めて不公平な結果を招きます。さらに、事業再生の可能性があったとしても、事業に必要な資産がバラバラに差し押さえられてしまえば、その道は完全に閉ざされてしまいます。
アメリカ倒産法は、このような非効率で不公平な事態を回避するために、「自動的停止(Automatic Stay)」という仕組みを用意しています。破産が申し立てられた瞬間、裁判所の命令を待つまでもなく、全ての債権者による個別の債権回収行為(訴訟、差押え、担保権実行など)は、法律の規定によって自動的かつ包括的に禁止されます。この「止まれ」の命令により、債権者間の無秩序な競争は停止され、全ての利害関係者が倒産手続という統一されたプラットフォームの上で、規律ある形で権利関係を処理していくための期間(breathing spell)が確保されるのです。
そして、この停止期間中に、倒産法は第二の目標である「資産価値の最大化」を追求します。特に、事業再生を目指すChapter 11手続においてこの理念は顕著です。倒産法は、事業をバラバラに解体して清算(Liquidation)するよりも、1つの事業体として継続(Going Concern)させる方が、全体の価値が高くなる場合が多いという認識に立っています。例えば、ある工場の土地、建物、機械、従業員、ブランド価値は、一体となって稼働している状態では大きな価値を持ちますが、個別に売却されれば二束三文にしかならないかもしれません。
この事業継続価値(Going-concern Value)を維持するため、Chapter 11では、債務者(多くの場合、DIP(Debtor in Possession)として経営を継続)が事業を継続するための運転資金(DIPファイナンス)を調達したり、不採算部門を整理したり、あるいは事業全体をより高い価値を提示する新たなスポンサーに売却(363条売却)したりするための、柔軟かつ強力な権限が与えられています。これらの措置を通じて資産価値を最大化し、その果実を原資として、定められた優先順位に従って各債権者に公平に分配することが、倒産法が目指すもう一つの重要な目標です。
連邦法(Bankruptcy Code)と州法(財産法・契約法)の関係
3つ目の基本理念は、より構造的な側面に関わるものであり、アメリカの連邦制度に由来する「連邦法と州法の相互作用」です。アメリカの倒産手続は、合衆国憲法に基づき制定された連邦法である「連邦倒産法典(Bankruptcy Code)」という統一された法律によって規律されます。これにより、どの州で手続が行われようとも、適用される倒産手続のルールは基本的に同じです。
しかし、その一方で、倒産手続の対象となる根本的な権利関係、すなわち「誰が誰に対してどのような権利を持っているのか」という実体的な権利(Substantive Rights)は、原則として各州の州法(State Law)によって定められています。例えば、ある売買契約が有効に成立しているか、不動産の所有権は誰にあるのか、あるいは銀行が設定した担保権は法的に有効か、といった問題は、連邦倒産法典ではなく、それぞれの州の契約法、財産法、商法に基づいて判断されます。
つまり、アメリカ倒産法は、州法によって定められた既存の権利関係を土台としながら、その上に立って、債務者が支払不能に陥ったという特殊な状況下で、それらの権利の行使をどのように調整・変更するかを定めた法律となっています。連邦倒産法は、州法上の権利を完全に無視するわけではありませんが、それを一時的に停止させ(自動的停止)、場合によっては覆し(否認権)、あるいは再構成する(再生計画)ためのルールを提供するのです。
この連邦法と州法の二層構造は、アメリカ倒産法の実務において、常に意識しなければならない重要な視点です。例えば、管財人が債務者の財産を取り戻すために行使する「否認権」の1つであるストロング・アーム条項(Strong-arm Clause)は、管財人に州法上の理想的な債権者の地位を与え、州法に基づけば無効にできるはずだった取引を否認する権限を付与するものです。また、債務者が免除を主張できる財産の範囲も、多くの州では州法によって定められています。
このように、連邦倒産法という統一的な手続法と、多様な州の実体法が交錯し、相互に作用し合う点に、アメリカ倒産法の複雑さとダイナミズムがあります。日本企業がアメリカの倒産手続に関与する際には、連邦倒産法典の条文を追うだけでなく、その基礎となる準拠州法が何であり、それが権利関係にどのような影響を与えるのかを常に念頭に置く必要があります。
第1部 倒産法の構造と歴史
第2部 倒産手続の基本原則と横断的論点
第3章 手続の開始と自動的停止(Automatic Stay)
第3部 主要な倒産手続各論
第8章 Chapter11:再建手続(手続開始から事業継続まで)
第9章 Chapter11:再建手続(再建計画の策定と認可)